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内戦の日本古代史邪馬台国から武士の誕生まで (講談社現代新書)
本, 倉本一宏
によって 倉本一宏
5 5つ星のうち 20 人の読者
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古代国家はいかに建設され、中世社会はいかに胎動したのか?倭王権に筑紫磐井が反乱を起こした理由は?蘇我馬子と物部守屋の国際的な路線対立とは? 古代史上最大の戦乱「壬申の乱」勝敗の分岐点は?桓武天皇の「征夷」を生んだ国家観「東夷の小帝国」とは? 天慶の乱はどのように中世へと時代を転換させたのか?――古代の戦いから日本のかたちが見えてくる、画期的な一冊。
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高校の期末試験のために、藤原広嗣、恵美押勝、平将門、藤原純友らの「反逆者」の名前を覚えた記憶がうすぼんやりと残っている。なんか大変な革命騒ぎをやらかしたと思っていたが、著者はあまりたいしたことでもなかったと斬り捨てる。この本にはそれぞれの乱の背景や規模についての詳しい解説が載っている。弥生時代から中世期成立までの850年間、日本古代は対外戦争も内戦も少なく規模も小さかった。このことは世界史的にはごく特異な現象で、ありていに言えば日本人は僻地の素朴人として、世界から忘れられてのんびりと温泉につかって自らの文化を磨いていたらしい。戦いの少なかったわけは具体的には、(1)僻地の島国であったため他国からの侵略もない。(2)他国を侵略する意志もない。(3)世襲を支配の根拠とした王権を作ったため、王権を倒す勢力が登場せず、王権側も革命に対する武力を用意しなかった。日本では権力奪取のために、イギリスやフランスのように王権を滅ぼすよりは、王権のなかに外戚として入り込むほうがはるかに容易かった。だから、反乱をおこしても王権にチャレンジするものは誰もいない。興味深いのは、古代日本人は「天下」を日本列島と朝鮮半島の範囲に限り、「天皇」号や王土王民思想を成立させたこと。確かに古代の人には東北よりも(環海で繋がっている)朝鮮半島のほうが身近だったと思う。しかも古代日本には新羅系の泰(はた)氏、百済・伽耶系の漢(あや)氏、高句麗系の高麗(こま)氏のようなエリート家系(=文化人)が多くいて、王権は常に朝鮮半島の動向を意識していた。「天下」のなかに朝鮮半島が含まれることが日本人の深層のなかに刻み込まれ、将来さまざまな軋轢をもたらすことになる。朝鮮は日本の仲間であるという意識は、親しいがゆえに近親憎悪を生み出し、論理を超えた嫌韓や反日につながっている。穏やかな古代日本も武家の萌芽とともにきな臭くなる。平安時代末期の前九年・後三年の役のころには、かなり残酷になっている。苦痛を長引かせるために鈍刀で首を斬ったり、舌を抜いた者を主君の首の上に吊るしたり、降服してきた女性や子どもを皆殺しにしてしまうという発想も出てくる。司馬遼太郎は『この国のかたち』の中で武家の世になって日本人はやっと論理的な文章を綴れるだけの知性を持つようになったと言っているが、知性=悪だくみは残酷な戦争を好むらしい。日本は明治維新の文明開化で西洋の知識を導入しさらに賢くなり、より戦争好きにもなっていった。この不可逆的な傾向はいまでも続く。もう二度とおだやかな古代には戻れないことを著者はとても悲しんでいる。
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